
「伊予は水軍の国である」
戦国の時代、その能力と技術の高さから傭兵として乞われ懼れられた水軍。しかし、能力主義を否定することで封建体制を保つ徳川幕府に依り、水軍の存在は否定され、いつしか時代と共にその姿を消すことになる。
それから二百数年後、突如黒船が来航し時代が変革する。 新しい時代、「明治」という国家は再びその能力を要求することになる。
ここに伊予松山藩出身の無名の三人が現われる。
(明治の頃の松山城)
伊予水軍の末裔であった彼らは、其々の能力で
「坂の上の雲」に奇蹟を描いてみせた。
一人は病魔と闘いながらも俳諧の革新に挑んだ、
近代俳句の祖・正岡子規。
一人は日露戦争で世界最強といわれたコサック騎兵を撃破した日本騎兵の創設者・秋山好古。
そしてもう一人はその弟で、日本海海戦の丁字戦法をあみだし、「無敵艦隊」と呼ばれたバルチック艦隊を破った帝国海軍参謀秋山真之である。